〜憑神縁日事変〜
作:ヤドカリ様
| 古い神社がある。 ずっと昔からその地に立っていた由緒正しい神社だ。 まあ、それほど大きい規模なわけではないが、長年地域の人々から親しまれてきた神社だ。 夏になれば小さいながらもにぎやかな縁日が開かれ、子連れの親や近辺の若者が集まってきたものだった。 それも、もう昔の話になるのだが。 人口減少の影響か、若者の地域離れによるものか、いつしか人が集まらなくなった神社は縁日を行うこともなくなり、忘れ去られたように寂れたままそこにあるだけだった。 休日だというのに人っ子ひとり見当たらない境内。 そろそろ夏だとうこともあって、生い茂る木ではセミたちが求愛の歌を口ずさんでいる。 それほど広くない境内が広々と思えるほど、人の気配が感じられない空間だった。 青々とした木々が影を作る参道は、近頃は人が通ったこともないのではないかと思われるほどで、落ちた木の葉などがそのまま散らばっている。 そんな砂利道に、真新しい足跡が幾つか。 引きずるような、どことなく元気のない形跡の足あとを残しながら一人の少女がゆっくりと参道を登ってきていたのだった。 「あつ……夏だもんね」 誰ともなく呟いて、少女はようやくたどり着いた大きな鳥居にその小さな背中を預けた。 たいして急な角度を持っているわけでも、長い距離を持っているわけでもない参道だが、彼女の体は限界を訴えるように滝の汗を流す。 すこしばかり青ざめた顔で、彼女は何も無い、寂れた境内を見渡す。 一度、二度、三度。 何度も、何も無い空間から何かを見つけ出そうとするように、彼女は視線を往復させた。 そして、深い溜息をひとつ。 「はは、やっぱり、か」 その声色は、多分に悲しみを含んでいるようだった。 溜息をつくと共に、彼女の体を支える何かも抜け落ちてしまったようで、彼女は力なくその場に腰をおろした。 「今日だったはずなのになぁ」 ごそごそとポケットから取り出した携帯電話、スケジュールを開いてみれば今日を示す日付に赤い丸がつけてある。 その画面と境内とを交互に見渡して、彼女はもう一度大きなため息をついた。 それから彼女は力なく立ち上がり、軽く咳き込んでからふらふらと風に吹かれるように危なげな足取りで正面にある本殿を目指す。 数度何も無いところで転びそうになりながら、彼女はどうにか本殿にたどり着いた。 だれもいないことを確認してから、全身を投げ出すように本殿前の階段に腰を下ろす。 「はぁ、はぁ……やっぱ、しんどい」 荒く不規則な呼吸は、彼女の体が本当に休息を求めていることを教えていた。 そんなことは、誰に言われるでもなく彼女自身が一番理解しているのだが。 「ごほっ……」 連続する咳は疲れによるものではなく、もっと危なげな気配を伝える。 口に当てたてを離してみれば、白い肌に微かに赤い飛沫が見て取れた。 「神様」 それを見て、彼女は全身の力を抜いて階段にしなだれかかる。 もう、体を起こす力すら残っていないかのように。 「見える?あそこ」 誰もいないにもかかわらず、腕を高く上げてとある方向を指差す。 鎮守の森の高い木々の間から見て取れるのは、近くに立つ総合病院だ。 「私さ、ずっとあそこにいたんだ」 少し言葉を紡ぐたびに痛みを伴う咳を出しながら、彼女は言葉を紡いだ。 「あそこから、ずっとここを見てたの。そしてさ、にぎやかなお祭りの音を聞いてた。沢山の人がいて、明るくて、いい匂いは私の病室まで漂ってきてたよ。治ったら、絶対にそのお祭りに参加するんだって。決めてた」 言葉を区切ったのは、体を折るほどの大きな咳だ。 血が塊のようになって口を抑える彼女の手にこびりつく。 口の端から赤い涙を流して続ける彼女の声は、もはや霞んでいるようにすら聞こえた。 「でもさ、もうだめなんだって……私、死ぬんだってさ」 それ以降は、かすれ嗚咽混じりの慟哭となった。 しっかりと聞きとることもできない叫び声と、涙を流して。 「だから、だから最後にお祭りに来ようって!!一度だけでも楽しもうって、そう思ったのに!!なのに!!お祭りなんて、どこにもないじゃない!!今日この日にやってたじゃない!!なんで!!なんで私が死ぬってわかったらお祭りなくなるの!?ねえ!!出店は!?花火は!?お客さんは!?どこ!!どこにあるのよ!!」 もはや、言葉にもなっていない感情をぶちまけて。 それから彼女は突然、電池が切れたように口を閉ざした。 呼吸を落ち着けるように、深呼吸を繰り返し。 「ごめんね神様。うるさくしちゃって……でも、悔しくてさ。私の名前、祭里っていうの。お母さんがつけてくれたんだ。お祭りみたいににぎやかな子になるようにって。でもさ、一蓋も言ったことないんだよ、私……なんか、眠くなってきちゃったな。大声出して、疲れちゃったみたい……すこし、ここで眠ってもいいかな」 足を抱くように体を丸めた祭里は、どんどん小さくなる声で言った。 「神様神様。私をお祭りに連れて行ってください。大きくて、賑やかで、ずっと続く。楽しいお祭に」 願いを込めて零したその言葉を最後に、彼女は何も言わなくなった。 灼熱の太陽が照りつける夏の日のこと。 古い神社の片隅で、少女が身を小さく丸めていた。 だからなんだというのだろう。 寝ていようが、そうでなかろうが地球は回るし時間は進む。 世界も自然も広大で、世の中には波紋ほどの変化も起きはしない。 筈だ。 そうであるはずだし、そうであって当然だ。 世界には理があって、だからこそ世界は存在している。 しかし風が吹いた。 何の変哲もない一陣の風。 木々の間を駆け抜け、葉を揺らす。 盛んに自らの位置を告げるセミたちが畏れたように歌を止めた。 風が止めば、音が消えた世界が訪れる。 まるで世間から切り取られてしまったかのように神聖に満ちた静寂が。 そして、風もなく音もなく本殿の扉が開いた。 神を祀る扉が。 音もなく開いた扉は、風もなく閉まった。 次の瞬間、止まっていたビデオを再生するようにセミたちから、世間から音の洪水があふれ満ちた。 何も変わらない理の中、地球は周り自然は揺らぐ。 ただ、世界には波紋ほどの変化も起こさないだろう小さな変化があった。 古い神社の片隅で身を丸めていた少女が、忽然と姿を消していたのだ。 はじめからそこに誰もいなかったのではないかと思えるほど、突然に忽然と。 世界は理で満ちている。 物は落ちるし、人は死ぬ。 太陽は回るし、月は日毎に形を変える。 そうであって当然だ。 そうでなければならない。 けれど、そうでない何かというのも確実に存在していた。 理で図ることのできない何かを、かつて人は神と呼んだのだ。 小さな古い神社の片隅に、かつて神と呼ばれた何かが居た。 ただそれだけのこと。 少女の小さな願いを叶えた、ただそれだけのことなのだ。 「あは、あはははははは。お祭り、お祭りだよ!!楽しい楽しいお祭!!いっぱいいっぱい出店を出して、いっぱいいっぱい花火を上げて、いっぱいいっぱいお客さんに来てもらって。食べて遊んで見て笑って、私が楽しむ!!私の、お祭りだよ!!」 |